そろそろ4月で、新社会人がデビューする季節です。
私の場合、大手企業にソフトウェアエンジニアとして配属されました。
私の社会人の始まりはプログラマーだったわけです。
(大手企業の正社員でプログラミングを行うのは、今では珍しいですね。今は下請けに丸投げです)
それでいきなり一本プログラムを作ることを任されて、開発することに。
1985年のことです。
まるで右も左もわからない新兵を、いきなり戦場の最前線に投入するようなものです。
Z80 CPUのアセンブラのプログラムだったのですが、Z80の参考書だけを渡されて「作れ」と言われました。
わからないことだらけで、先輩に質問しようにも、「いつまでも学生気分の教えて君じゃ困る。自分で考えて自分で調べろ」と突き放されました。
先輩からすれば社会の厳しさを教えるための「愛の鞭」だったのかもしれませんが、正直「どうすりゃいいんだ……」と途方に暮れたものです。
一応、私の指導にあたった先輩は、プログラミングの職場にいるにも関わらず、プログラミングの知識が全くない人でした。なぜそんな人がトレーナーになるのか?
大手企業あるあるの謎です。
なんとかかんとか自分で調べて、拙いながらもプログラムを完成させました。
我ながら奇蹟のようなものでした。
1985年当時は、そういう野蛮なOJT(と呼べないもの)がソフトウェア業界の慣習でした。
その会社の子会社にも、同じ境遇の新人がたくさんいて、彼らはろくな指導もないままプログラムを任され、プログラムを作れた者は生き残り、作れなかったものは入社早々に会社を辞めてしまう、という死屍累々の状態でした。
私は生き残れましたが、それも幸運だったとしか言えません。
さすがに今はそんなOJTは存在しないだろう、と思っていましたが、50も半ばも過ぎて転職した派遣エンジニアの世界では、そもそもOJTというものすらありませんでした。
新社会人で派遣会社に入った若者はどうなるんだろう?と暗澹たる気持ちになりました。
プロ野球の監督として大成した広岡達朗は、ドラフトで入団してくる新人にはコーチが手取り足取り教えてやる必要がある、と述べています。
才能があるプロの選手でさえそうなのです。
私はもう新人を指導するような立場にはなりませんが、昔の野蛮な風習は変えた方がよいと考えます。